理事長の部屋
理事長の部屋へようこそ!
まずは私なりの海外との関わりをお話ししたいと思います。
私の海外への興味は私の父が英語の教師であった事も影響したのかと思いますが 、小さい頃からテレビの楽しみは「兼高かおる」の世界旅行番組で子供のくせにと良く言われたものでした。子供心に外国では、何を食べどのような考え方で楽し み方は?とか、一種の憧れみたいなものがありました。 憧れや興味を持っていますとありがたいことにチャンスは訪れるものですね。 私の現在に至る渡航歴を紹介いたしますと、まずは隣接する台湾、韓国から始まり、中国、ベトナム、タイ、インドネシア、フランス、スペイン、ドイツ、イタリア、アメリカ、カナダ、オーストラリア、グアム、サイパン。変わった所でタヒチ島。エジプトは当時、湾岸戦争のさなかで、航空券購入したにも関わらず危険地域に指定された影響でキャンセルを余儀なくされ、今と成っては残念に思います。中近東やヨーロッパなどは体力勝負で若い時に行かなければ疲れが前面に出て、行動がおのずと制限され楽しさが半減すると思います。皆さん、思った時が吉日で是非若いときに遠い国へ出かけて見て下さい。
ここで私のつたない思い出深き海外体験談をお話します。
その一:インドネシアではバリ島のクサンバの海から桶で汲み上げ浜に播く塩から出会いが始りました。その素朴な現地の人たちとの話しの仲で不老長寿の島があると言う話を聞き、その二つ隣の島スンバワ島では養蜂では無い自然の巣から採取した蜂蜜があるという。しかし、この島への飛行機は週何便しかないのです、それも着陸は草原です。その蜂蜜を分けてもらおうと村へ侵入、早々刀を腰に下げた村長さんらしき人がお出迎えで、どうも下打合せが必要なのは日本だけでもなさそうだとこの時再認識しましたが、まあその後はウルルン滞在記みたいなもので、分けの解らない酒やお茶を交しやっと分けて貰え、無事帰る事が出来ました。分けて貰ったらこっちの物で一刻も早く島を出る方法を探したが飛行機は2-3日無い、しかしながら、旅行誌に掲載されて無いだけで、実際は島の南端からフェリーでロンボク島へ渡り、ロンボク島から飛行機でデンバサールへ帰る方法がありました。是非、ご参考に!
コーヒーはジャワ島のマンデリンとか・・よくよく考えて見るとどうも私の場合、食べ物が主体で渡航先を決めるようです。
体験談その二・・・話が長くなるので今回はこの辺で、この続編は追々掲載しますのでお楽しみに!
手の内を明かしますと、最終編は中国です。私との中国の関わりは1994年から山東省への印刷工場作りが本格的な始まりでした。青島と煙台の間の田舎町でしたが、冷凍野菜工場が多く集まり、日本への出荷の60%をこの地域で輸出していましたのでここになりました。当時この町では日本人住民は数名しかおらず、何でこのようなところにと悔やんだものでしたが、私の対中感はここで育ったようなものです。何か昔の日本にタイムスリップしたような町で、人々の暖かさや素朴さなど観光旅行では到底得られない体験を数々得ました。