常務理事の部屋

joumuriji

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私と中国との関わりはやはり父の事から話が始まります。私が学生の頃、父が会社のサークルで中国語を習い始め、台湾と行き来を始めました。

その頃、私は全く中国に興味が無く、「中国、中国語?アメリカ、英語でしょう」と思っていた程度でした。しかし、いつの間にか父が電話で台湾の方と電話で話しているのを聞いて興味を持ち始めました。

その後、大学の休みを利用し、「少しは中国語を覚えようかな」と気楽な気持ちで遊びに行きました。しかし、1カ月近く滞在しましたが基礎も何もない状態でしたので少しも中国語を覚えられず時間だけが過ぎてしまい、帰国の途につきました。 その時に何も覚えられなかった事が反動となり、どうしても中国語をマスターしたいと思うようになり、大学卒業を機に父の知人を頼り留学しました。

台湾では外食が中心であったため食事をする時、移動の為にタクシーに乗る時、バスの路線を訪ねる時など生活の全てで中国語を話さないと生活できない状況でした。この2年半の留学が私の人生の中で1番勉強した時代でした。

1985年帰国する頃には中国と関わりのある仕事をしたいと強く思う様になり、前職の貿易会社に入社しました。それ以来今まで四半世紀に渡り、関わり続けてきました。貿易の取引の為に訪れたその頃は、今の中国をご存じの方からは想像できないかもしれませんが人々は人民服を着、女性も全員ズボン姿でした。為替レートは¥100/RMBで1万円が100元の外国人専用の兌換券に両替され市場などで10元札を出すと「こんな大きな札で買い物するなんて」というような顔で見られたものでした。

その後、中国は急速な発展をとげていくのですがそれに伴い私も取引で「価格がどうだ!品質がどうだ!納期がどうだ!クレームだ!」と丁丁発止を繰り返す事になりました。その間に発展途上であるが故の問題が発生し、好きであるはずの中国がだんだん仕事の為だけの職場になってしまいこのままでよいのかと思い悩んでいる時に今の国際交流支援協会の仕事をする機会を得ました。中国の生活を理解している者として日本に住む中国の人々及び研修生に日本の習慣や文化の違いを説明、生活のルールを覚えてもらい、日本で生活する上での助けになればと思っています。

また、中国の沿岸部での発展はめざましいものですが、内陸部ではまだまだ貧困から抜け出す手立てがない人が多くいます。このような中国内陸部の人々と交流を深め、何かの手助けをする事を事業として行えるように努力したいと思います。